ハローキティデザイナー 山口裕子さんインタビュー

ハローキティの育ての親、三代目デザイナーの山口裕子さんにお話を伺ってきました!

こんにちは、香港ナビです。この夏、九龍湾はキティだらけ!というわけで、イベント「ハローキティ シークレット・ハウス(Hello Kitty Secret House)」は、大盛況の幕開けとなりました。緻密に作られたセットの中で息づくキティちゃんの魅力が、たくさんの人を魅了しています。さて今回、なんと香港ナビは、「ハローキティ」のデザイナー山口裕子さんへインタビューする機会を与えられました!知られざるキティ秘話を伺ってきましたのでどうぞご覧ください!

−今回の「シークレットハウス」、出来上がりをご覧になってのご感想をお聞かせいただけますか?
今回はハイテクなしかけをいくつか使うということで、(印象が)冷たくなるんではないかというように心配をしていたんですが、実際にはとても温かみがあって、本当にキティちゃんがここにいるような感じがしました。ファンの皆さんも楽しんで見てくれたのではないかな。皆「前回(前年のイベント「Hide&Seek」)と比べても、今回の方がよかった!」と言ってくれますが、そうじゃなければ退化してしまっているということ。進化しているから次もがんばれるし、ファンもそれを期待しているんだと思います。
−このイベントで最も気に入っていらっしゃるパートを教えてください。
素朴なところなんだけれど、金魚(会場にはキティの秘密を知っている金魚が泳いでいる)。私も10年以上、キティちゃんと同じように金魚を飼っているんです。キティちゃんの部屋には必ずいるものなんだけど、本当にイベントの中で金魚を飼ってしまうということに驚き。普通やらないですよねえ。
−「ギャラリー」には世界中のアーティストの作品が並びましたが、どのようにご覧になりましたか。
いろいろなアーティストがキティちゃんをモチーフに作品を作るというのは初めてではないので、見ることにはもう慣れているんですけど、アーティストのキティちゃんに対する愛情というのは作品を見れば分かるかな。だんだんとプロの発想が「キティちゃん」をテーマに出現していて、レベルが高くなってきていると思いましたね。好きなものを持って帰ってオフィスに飾っていいよといわれたら、キティちゃんがピンクのユニコーン姿で寝ているものを持って帰りたい。キティちゃんを進化させるとここまで行くのか!と。その発想がすごい。
−「ハローキティ」のキャラクターや家族構成などの設定について、モデルにされているものはありますか?
それは時代によって違うんですね。1980年代は私の友達がキティちゃん、だからなんとか可愛くしてあげたい、可愛いものを着せてあげたいっていう感じでした。でも90年代に入ると、私とキティちゃんが同化し始めた。私の行きたい場所、着たい服、買いたい家具・・・実際には制限があって全部自分では実現できないことを、キティちゃんにさせたんです。2000年からはキティちゃんが芸能人、私はプロダクションの社長(笑)。どこでどんなことをさせて、どんなふうにプロデュースしていくかということを考えています。
ストーリー設定は、ファンの皆さんから疑問や質問が多く寄せられたときに、考えて追加してきました。たとえば、「キティちゃんの血液型って何型ですか?」とたくさんの人から聞かれたので、ファンと同じ設定にするために日本人にいちばん多いA型にしました。

25周年のときにはボーイフレンドのダニエルを登場させました。それは「キティちゃんにはボーイフレンドはいないんですか?私はいるんですけど」というお便りがたくさん来るようになったから。それまでは、キティちゃんは芸能人みたいなものだから、日本の芸能人と同じように「彼氏はいません」と言ってきたんです。でも、芸能人も普通に彼氏がいる宣言をし始めたこともあって、キティちゃんにもボーイフレンドを作ったというわけです。反応が不安だったのですが、幸いダニエルは皆に人気があって、「ダニエルは私のものだから、キティちゃんとは結婚させてほしくない!」という声まで寄せられるほどです。

30周年にはペットのチャーミーキティを作りました。それも「私たちはみんな犬や猫を飼ってるんですけど、キティちゃんは飼ってないんですか」という声が多く寄せられたから。猫がペットを飼うなんて変じゃないの、と思ったけど、キティちゃんはもはや猫じゃないんだなと。これも反応が不安でしたが、受け入れられました。

ファンは、自分と同じということで共感し、同じじゃないのね、と思ったときに失望する。また、少しだけ同じじゃないところに憧れを抱く。自分の中だけでやるのは90年代で終わりました。キティちゃんの世界はファンの声を聞きながら進化しているんです。たくさんあるキャラクターの中で、時代とともに進化できるキャラクターはキティくらいじゃないかと思います。5年の節々で大きな変化をしてきているので、今度35周年のときも何か考えなくてはならないんですけど、そのときに世の中がどうなっているかは誰にも読めないですよね。

−1980年から「ハローキティ」の3代目デザイナー。こんなに長くデザインを担当されるとは当初から想像していらっしゃいましたか。
ぜんぜん。当時は日本でも知名度がそれほど高くなかったし、アメリカやアジアで知っている人なんて皆無に近かった。人気がなければサイン会に呼ばれることもないから、最初のころは自分でお店を回ってサインを配っていました。店頭で意見も聞けるし。そのうちに「いちご新聞」(サンリオキャラクターやグッズの最新情報が載った月刊紙)が協力してくれるようになって、やっと知名度があがってきました。
−デザインを担当してきた26年間で、もっともチャレンジングだったなと思うことは?
キティちゃんのトレードマークであるリボンを外して、花にかえたとき。こんなのキティちゃんじゃないと言われたらどうしようという不安がありました。でも、いつも同じリボンを描いていて、私も飽きたし、キティちゃんも飽きているに違いないと思ったんです。

サイン会で、キティちゃんの、とは言わずに、「頭に何をつけるのが可愛い?」と聞いたら、みんな「花が可愛い」と言うので、花にしようと思いました。でも急にやるのは怖くて、夏のプロモーションでこっそりと、リボンのキティちゃんとハイビスカスをつけたキティちゃんをまぜて描いてみた。そしたら誰も気がつかなかったんです。社員も気がつかなかった。それで、秋のプロモーションの分はがらっと、リボンなしにしてみました。そしてベースカラーも、赤から薄いピンクにしました。それまで、日本でもアメリカでもアジアでもピンク色は赤ちゃんの色とされていて、これを使うのはタブーだったんですけど、そのとき日本のファッショントレンドで、徐々にピンクが売れ始めているというのを聞いて。時計のベルトが、それまでいちばん売れていたのは黒だったのに、ピンクが売れているというので、その色にしたんです。1995年の秋でした。
社長からはすっごく怒られましたよ。「キティを殺す気か!?」って。でも、一点だけ、ピンクのプチタオルを店舗に置かせてもらった。そうしたら、全国のお店から何よりもそれが売れているって、手紙がいっぱい来て。それで、全商品に展開させてもらいました。今でも忘れられないのは、テレビのニュースで、「渋谷の女子高生が頭に花をつけはじめました」というの。「どうしてそれをつけているんですか?」ってアナウンサーが聞いたら、女子高生たちが「キティちゃんの真似ー」って言ってて。「カワイイ」っていう言葉も流行ったし、ね。
−イマジネーションの源を教えてください!
ひとつは、どんなものが流行るかという興味。私は買い物欲、物欲がすごく強いんです。コレクターだし。それがエネルギーになっていると思う。何もほしくないと思うようになったら、何も浮かばなくなるでしょうね。それと、何に関しても知識を持っていること。雑学を蓄えていること。そうすれば、ファンの要望にすぐ応えられますから。

最後に、山口さんにサインをいただきました。貴重な手描きです。実際に目の前で描いてもらって、感激!

お話がとっても楽しくて、あっという間にインタビューの予定時刻を過ぎてしまいました。ただ絵を描くだけのデザイナーではなく、マーケッターとしての優れたセンスを兼ね備えた山口さん。常に社会の変化とファンの要望を見据えて、チャレンジを続けていらっしゃいます。キティちゃんがいつまでも古くならずに、その時代時代を生き生きと彩る存在であり続けられる理由が分かった気がしました。これから、さらに活躍の幅を広げて行かれるであろう山口さんとキティちゃんの今後が楽しみです!以上、香港ナビがお伝えしました。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2006-08-09

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