貞の60代後半の旅、香港からマカオへ

マカオは美食と発見の連続だった

今回のこの旅は、ようやく日程の調整が出来たため三泊四日で航空券だけ予約して息子のマンションに転がり込むことになった。急な計画なのでガイドブックを三日前に購入する始末で、地図上で香港の位置関係も分からずに飛行機に乗り込んだ。  三泊四日といっても観光は僅か二日間。香港のみを考えていたが、二男が二日目はマカオへ行こうというので喜んで「GO」サインを出した。  シンガポールではマレーシアのクアラルンプールへ、スロベニアからはクロアチアのザグレブへ、アメリカのサン・ディエゴからメキシコのテイファナヘ、いずれも日帰り旅行をするなど、小生はこういう旅行が好みで、今回も「待ってました」という感じだった。
マカオへはフェリーで  
香港からマカオへは頻繁に高速船が運航しているとのこと。ターボジェットでの60分は、ガイドブックに載っていた鏞記でテイクアウトしたチャーハンと叉焼丼を食し終わると、前方にマカオの灯りが見え始め、派手な一際目立つネオンはカジノであることが一目で理解できた。そのネオンが真横に来たところでフェリーは停泊した。
香港での出国手続きもそうだが、マカオでの入国手続きも簡単に終わり、タクシーで移動し、まず、セナド広場に立った。10時も半ば回っていたので人影はまばらで静かな雰囲気の中で周りを眺めた。カラータイル張りの広場やライトアップされた建物がヨーロッパの観光で出会う旧市街地の景色と重なる風景だった。
広場と道路を挟んだ反対側の市政廳の建物がその後ろ側の高層建築が借景となって浮かび上がって見えた。市政廳に背を向けてカラータイル張りの歩道を道なりに進むと、道の両側はポルトガル風なのか異国情緒が漂う建物が並び、昼間の賑やかさを想像しながら歩を進めた。この夜はタイパ島のホテルに泊まり快適な宿泊をした。

効率よくマカオの名所をまわる

翌日は二男が知人からの観光情報を元にマカオの一日を効率よく回るための観光マップをメモ帳にしたため、ホテル周辺から観光を開始した。香港・マカオは日本の沖縄よりも南にあり、亜熱帯気候で温かいと想像していたが、今朝のタイパ島は木枯らしが吹き荒れ、身にしみる寒さだ。ノッポ建物が多い街中は日の当るところが乏しくそれらを探しながらの観光だった。
マカオはパンの天国だった
お勧めのパンの美味しい店はすぐに見つかった。店に入ると朝食の後片づけなのかモップを手にしたおばちゃんがテーブルの間を拭き掃除しており、しきりに編み物をしているこれもおばちゃんと手を休めては声高に話している。店内は四人掛けテーブルが10コほどだったか、奥の方にも男性集団が三・四名、こちらは静かに話していた。  丸形の豚肉が挟まったサンドとコーヒーが運ばれてきた。パンは大口でようやく食いつけるような大きいものだ。表面は堅いが噛みつくとパンの型は崩れずにサクサクという感じで口の中に入り、豚肉の味も良くとても「美味しい」というパンの味だった。日本ではこのような完成されたパンに巡り合うのはとても難しい。
白いコーヒー・カップの横側は溢れたコーヒーの茶色が、飲み口は所々が欠けていて商売道具とはとても思えないものだ。しかし、店の雰囲気やパンの美味しさはそんなことを問題にはしなかった。
スーパーマーケットでは中国製造の一番搾りを発見した。値段は3.99HK$でわずか60円程度にしかならない。隣のマカオビールは3.7HK$。その下の珠海と書かれたビールはキリンの技術で作られたビールで、味はキリンラガーそのもの。にもかかわらず、2.6 HK$とは恐れ入る。
菊正宗の上撰の一升瓶が85HK$。これは日本円で約1275円。明らかに日本より安い。フリーポートというのは伊達ではない。
競馬場を見たり、スーパーマーケットをのぞき、その後タクシーで住宅式博物館へ。ポルトガル人が暮らしていた、およそ100年前の住宅を復元したものが六棟建っており、三棟の室内が博物館として開放され、当時の生活様式が再現されている。
室内に入るのを躊躇っていると、シニアは無料だから入ろうと後押しされて見て回った。当時の生活の道具や服装、歴史などが展示されており、小生が子供の頃に見たことのあるアイロンやミシンなどを懐かしく見て回った。シニア料金は初めての経験であり、何とも嬉しいような申し訳ないような複雑な思いだった。しかし、今後は癖になりそうだ。
タイパ島の南側にはコロアン島があり、昔は海で隔てられていたが、現在は埋め立てられて陸続きになっている。そのタイパ・コロアン・コーズウエイをタクシーに乗り、島の南側にある黒沙ビーチへ。そこは亜熱帯植物が見られ南国ムードが漂う景観であったが、砂浜の砂は黒ずんでいて海水は茶色がかり、南国の白い砂、青い海とは表現しにくい景色だった。
そこのビーチサイドのポルトガル・レストラン『フェルナンド』は、ガイドブックにも登場するだけあって賑やかで活気がある。中に入るとテーブルに座っている人たちは国際色豊でそれぞれランチタイムを楽しんでいた。
オーダーは鰯のオリーブ焼きにボイルポテトと生野菜添え・サラダ・そしてパン。パンは朝と同じく表面は堅いが噛むとサクサクと上下の歯が噛み合うのがとても心地よかった。 料理はシンプルだが味は口に合うもので、「サングリア」を飲みながら、お互いに舌も滑らかになり親子水入らずの会話が弾み、楽しい気分でレストランを後にした。
コロアンからマカオ半島へ
ビーチからは路線バスでマカオ半島を目指した。途中コーズウエイを通るとき中央分離帯に十二支の像がおいてあるのを発見した。グリーンベルトの大きな台座に十二支の像が等間隔で建てられていた。その中に豚がいたのには驚き。日本では猪だが、どうやら聞くところによると中国も韓国も豚なのだという。
マカオ・タイパ・ブリッジを渡り、すぐにバスを降りて新馬路をセナド広場方向に向って歩いた。昨夜は閑散としていたこの通りだが今日は違っていた。人も乗り物も溢れそうだ。セナド広場から聖ポール天主堂跡への道も人が溢れ、さすがに観光都市というだけあっていろいろな肌の色の人が行き交っていた。
聖ポール天主堂は1603年に建てられ、当時はアジアで一番美しい建物と評されていたが、その後火災に遭い今の姿が残った。建設には日本のキリシタンも加わったことが、ファサード(建物正面の壁)の後方にある記念堂にその名が刻まれていた。
ここを訪れてこのファサードを見たとき、広島の原爆ドームを思い出した。傷ついた姿で歴史を伝え、しかもそこで生活する人々に富をもたらしている。セナド広場から正面階段までの道の両側は、おみやげを売る店が並び大きな呼び声が、日本の神社や仏閣の門前町に似て街に活気が感じられた。
聖ポール天主堂のすぐ東側は天主堂と同時期に構築された砦跡があり、そこに登るとマカオの市街地や東シナ海の眺望が素晴らしい。西側の内港を挟んだ向かい側には中国本土の珠海市が手に取るように見える。敷地内にはマカオの歴史が学べる博物館や東シナ海に向けて大砲が並び往時を偲ばせる史跡だった。
砦を出て曲がりくねった坂道を下り、道なりに進むとホテル・リスボアに出た。ここのホテルには規模の大きいカジノが有り、カジノの入り口は人集りができていた。入り口ではセキュリテー・チェックとカメラやビデオに撮影禁止のステッカーを貼ると入場OK。  円形の室内に一歩踏み入れた。もの凄い熱気だ。広いフロアには10数個のテーブルが並び、すべてのテーブルの周りには客が座り、その外側を立ち見の客が取り囲みゲームに集中している。 恐る恐るテーブルに近づいて見た。客も真剣だが係員も慣れた手つきで客の動きに応じて見事に裁いている。しかし、こちらも真剣だ。ゲームのルールも知らない小生にはとてもゲームに参加できる雰囲気ではなかった
円形の室内の外側には廊下を挟んで幾つかの小部屋があり、そこでもゲームが行われていて同じ光景があった。その小部屋の一つは両替所になっていて、一人の女性がチップを買うのか、金に換えたのか分厚い札束を二つ積み上げて係員と話していた。とてもじゃないが住む世界が違う気がした。そこは雰囲気だけを味わって退散した。

海の中にせり出して建てられた観音像を見に行ったが、東シナ海に沈む太陽に魅せられて、観音像は遠くから眺めるだけでもっぱら真っ赤な大きい太陽の沈む様子を静かに眺めた。太陽が沈むと辺りは急に暗くなり、我々のマカオ観光も終わりに近づきフェリー乗り場へ向かった。フェリーの運航時間を知らないまま乗り場へ行った。着くと出航時間までに15分もない。急いで出国手続きをして出航2分前に船内へ。すべて駆け足だった。
まさに、この旅は駆け足の旅。しかし、二男や彼の知人の旅情報で効率の良い観光ができたと思う。移動は殆どタクシーを利用したが、漢字で書いたメモをドライバーに示せば最短距離で運んでくれるし、料金も安い。半島や島の部分を含めてもマカオは比較的狭い範囲なので有効な交通手段だった。
ガイドブックには表紙も中のページを開いても食事のカラフルな写真が掲載されている。 しかし、どれもこれもというわけにはいかない。ホテルが朝食付きであったため、軽めに調整したつもりだが、その後ハム・サンド、ポルトガル料理と立て続きの食事に胃の方が拒否反応を示し、聖ポール天主堂跡行く道の両側で売っていた美味しそうな乾肉にも手が出なかった。その後遺症は翌日まで続き、次の食事はノースウエスト航空の機内食だった。

その他情報

名前 : 貞 /年齢 : 66 /出身地 : 福島 /在港歴 : 初香港 /趣味 : ひとり旅 /コメント : 60を過ぎてから楽しくなる旅もある /(現在、気ままなリタイア生活&モンゴル代表硬式野球チームのアドバイザー)

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名前 : 貞 /年齢 : 66 /出身地 : 福島 /在港歴 : 初香港 /趣味 : ひとり旅 /コメント : 60を過ぎてから楽しくなる旅もある /(現在、気ままなリタイア生活&モンゴル代表硬式野球チームのアドバイザー)

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2005-12-28

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