?ついに「漁民文化村」に乗船ならぬ乗筏です オクトパスカードで料金を精算し、埠頭から南Y島に上陸、数箇所ある券売所で入村券を購入、渡船で「漁民文化村」上の人となりました。 村はドラム缶をフロート代わりにして海上に設えてあり、村内は「古漁具展示館、塩干魚製造館、造網・造綱所、造船・補修館、漁民生活文化館、投網実演、無鉤釣魚体験、カップヌードルが主力商品にみえた茶店、保育施設、トイレ、記念品販売所」など25ほどの小屋がけの施設や、おなじみのサンパン、ドラゴンボートの実船、海上には「水上居民」の生活をしのぶジャンクが船がかりされてありました。 どの施設も、台風時にはひとたまりもないように見えましたが、壁を極少にすることで、風雨にも耐えられる柔構造になっているように見て取れました。
中でも、心引かれたのは生業と生活を海上で営む「水上居民」のジャンクでした。舳先に悪魔を追い払う呪力があるとされるザル様、「招福」や「招財」「避邪」などの朱赤のまじない札が、これらの船が「漁労」と「生活」とを兼ねた唯一無二の資産であることを物語っておりました。
この海域のジャンクの特徴として、船殻を何箇所かのパーティションで仕切ってあり、何らかの海難で一箇所から浸水しても容易に沈まない構造をしているようでした。 その点が「板子一枚下は地獄」といったわが国の船の構造との最大の相違点でありましょう。 わが国が四方を海に囲まれていて、一見「海洋国家」に見えながらも、「鎖国」を国是としている限りは、当時容易に外洋に乗り出せない構造の船以外建造し得なかったのも、そういった背景があったからでもありましょう。
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