香港歴30年以上の大ベテランさんにインタビュー!
「私と香港」そして「香港ならではの、お金のあれこれ」 大村良幸氏 (前編)

初の試み、「香港大ベテランさん」へのインタビュー。第1回:大村 良幸氏 (前編)


「その人にベストな商品を、プロの視点から提案します」、という大村氏の、貴重な香港ストーリーを、2回にわけてお伝えします。

「香港は希望とミラクルに満ちている!」  私と香港の運命的出会い 

大村氏(事務所にて)

大村氏(事務所にて)



34年前のことです。当時の私は大和証券の国際部で働いていました。そして香港赴任辞令が出て間もなくの1988年2月14日、私は旧香港国際空港に降り立ちました。
この日から私のミラクルだらけの香港生活が始まります。

私の香港での生活は必ずしも順風満帆だった訳ではありません。 しかし 「必要な時に必要なものが現われ」、「いつも誰かに助けられ」て、何かに導かれるようにあっという間に34年目を迎えました。

余談ですが “私が最も大切にしているもの” の1つである家族、その原点となる妻とは、日本の大和証券時代に出会いました。妻や香港との出会いを与えてくれた証券会社へ入社した事こそ、私の人生の最大のミラクルであったのかもしれません。
妻とは香港赴任中に結婚し、香港で産まれ育った娘は、現在イギリスで医師として働いています。

香港で産まれた娘さんを囲んで家族写真(大村氏提供)

香港で産まれた娘さんを囲んで家族写真(大村氏提供)

話を戻して、私が体験した香港ミラクルを1つ、ご紹介しましょう。
香港駐在5年を終えた頃、日本への帰任令が出ました。ところが帰国後ほどなく、若気の至りで社の営業方針に疑問をもった事から、退職願いを出すことになります。

私が退職願いを出したちょうどその時、まるで仕組まれたかのようなタイミングで、香港での就職話を持ちかけてくれた人がいます。私の退職を知る由もない人からの転職話にも驚きましたが、その話を持ちかけてきてくれた人との出会いも、ミラクルそのものでした。

香港駐在当時、私は大和証券で中国株の担当をしていました。その為しばしばお隣の深センへ出かけていましたが、その深セン行きのバスでたまたま隣に座った方こそ、その時の転職話しを持ってきてくれた人であり、私の未来のボスになった人なのです。

彼はシンガポールに本社を置くDBS証券の香港支社長でした。バスの中で偶然の出会いをしたとはいえ、その後はさほど交流はありませんでした。そんな人からの誘いに色々な縁を感じた私は、帰国の荷物を解かないうちに香港へ舞い戻ることにしました。人生どこで何が起こるか、本当に分かりません。

それからというもの、わたしは香港の金融業界で実に様々なポジションに携わり、その言葉通り ”多岐に渡る経験”を積んできました。

香港的働き方のすすめと、「生涯現役」を誓った現職への軌跡

明るく話しをしてくださった大村氏

明るく話しをしてくださった大村氏



前述のDBS証券には、7年間勤務しました。
次はフランスに本社を置くソシエテ・ジェネラルへ転職。その後、三井住友アセットマネジメントでファンドマネージャーとして運用の専門家としての経験を積みます。
それから英系ヘッジファンドへ移籍。ここで学んだことは 「どんな事があっても預かったお金は一銭も減らしてはならない」という、絶対リターンの鉄則です。これにはとにかく苦労をしましたが、この時に培った“最大級の顧客第一主義”の哲学は、現職に於ける私の基本理念となりました。

そうしてあらゆる立場から金融業界に関わり、多くの経験を重ね、最終的に辿り着いたのが現職です。現在は光大新鴻基(エバーブライト サンフンカイ)の資産運用営業部のジャパンデスク統括として、主に日本人の個人のお客様へ資産運用・保険商品など、各種金融サービスを提供してます。

光大新鴻基(エバーブライト サンフンカイ)は1969年創業、今年で52周年を迎える香港を代表する総合金融グループです。
私はこの会社を、長年苦労して身に刻んできた金融経験の集大成の場だと思っています。会社からノーと言われない限り(笑)、私が自らこの素晴らしい会社を去ることはないでしょう。

尚、こうして私の経歴を記載すると、多くの転職に驚かれるかもしれません。
しかし香港、特に金融業界での転職は、ごくごく当たり前のことなのです。この地では「転職を繰り返して、ステップアップする」という考え方が強く根付いています。

だからと言って誰でも都合よく転職できるわけではありません。日本人でありながらこの変化の大きい香港、そして競争の激しい金融業で30年以上もの間続けてこられたのは、一重に香港という街がミラクルやチャンスに満ちており、ラッキーにもそれを掴むことができたからだと思います。

そして最後に自分の蓄積した経験全てが活かせる最高の会社と出会えた事は、感謝以外の何ものでもありません。
今はただ、会社の経営陣、同僚、大切なお客様、そしてずっと支えてくれた家族に感謝をする日々です。

「香港愛が止まらない!」 これからは私なりの恩返しを香港へ

テラッキング中の大村氏(ご本人提供写真)

テラッキング中の大村氏(ご本人提供写真)

これほどまでにお世話になっている香港に恩返しをしたい・・・・そんな思いから、地元ロータリークラブの一員として数年前から活動を始めました。私が所属しているクラブは香港一国際色豊かなグループで、10数ヶ国にも及ぶ国のメンバーで構成されています。

活動内容は多岐に渡りますが、個人的に特に力を入れているのが週末のボランティア活動です。現在はコロナの為にこのボランティア活動は休止となっていますが、通常であれば老人ホームなどの施設を訪れ、生活に必要な食料品などを配ったりします。

ちなみに香港はこうしたボランティア活動が非常に盛んで、ごく普通に至るところで行われています。たとえば土曜日になると、小学生低学年くらいの小さな子供たちが駅前で募金箱を持ち、道行く大人たちに募金を呼びかけています。また多くの団体が、その力を必要とされる施設を訪問し、惜しみない寄付や手伝いをしています。そんな香港人の姿を日頃から見ていますので、私にとってもボランティア活動は身近なものとなりました。

週末のボランティア活動以外でもう1つ力を入れているのは、香港の子供たちに海外で学ぶチャンスを作ってあげたい、という試みです。子供たちの渡航費はメンバーが出し合ったお金で賄われます。今まで色々な国への留学支援をしてきましたが、なんと、日本への実績はまだありません。これからは私が香港と日本の架け橋となって、多くの子供たちに日本留学、日本交流を体験してもらいたいと思っています。

ロータリークラブでの活動(大村氏提供写真)

ロータリークラブでの活動(大村氏提供写真)

 また空いた時間を見つけては香港中のお寺を訪れています。私はこの趣味をトレッキングならぬ「テラッキング」と名付けています。
テラッキングを始めて、香港にはたくさんの素晴らしいお寺がある事に驚きました。新しいお寺を訪ねると作法などで分からないことがたくさんありますが、その都度地元の人々が手助けをしてくれます。そんな香港や香港人の優しさ、現職やお客様に出会えたことをお寺へ行って感謝すると共に、心を整えるのが私流のテラッキングです。



香港の人々は本当に明るく、前向きです。困った人を見れば躊躇なく手を差し伸べることができる、そんな香港人に私も度々助けられ、チャンスを貰ってきました。

今度は私が行動をする番です。34年住んでもまだまだ好きな気持ちが止まらない香港に、私なりの恩返しができるように、頑張っていきたいと思います。


大村良幸
光大新鴻基(エバーブライト サンフンカイ)・ジャパンデスク
住所: 28/F, Lee Garden One, 33 Hysan Avenue, Causeway Bay
メール: y.omura@ebshk.com
電話: 3929-6246 /  携帯 9651-7739




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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2021-05-10

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