香港の歴史街道めぐり 上環(1)

街を散策しながら、香港の歴史的建築物や古跡をたずねてみよう。第一回目は香港の商業、医学の発祥の地、上環駅を中心に歩いてみます。

香港の近代史の発祥地、上環エリア

香港の近代史の発祥地、上環エリア

こんにちは、香港ナビです。超高層ビルが立ち並び、夜になると100万ドルの夜景がきらめく近代都市、香港。歴史の浅い香港では、街を歩いていても、中国のほかの大都市で見られるような、長い歴史を感じさせる建物や遺跡はありません。それもそのはず、一般的に観光客が訪れるエリア、つまり香港島や九龍半島の中心地は、1843年にイギリスの植民地になった後に開拓された比較的新しい街なのです。とは言うものの、香港は閉ざされた中国において、長年世界への玄関口という重要な役割を果たし続け、短くも濃い歴史が繰り広げられてきました。このシリーズでは、波乱万丈の香港を感じさせる歴史的な場所の数々をエリアごとに歩いてみたいと思います。第一回目の今回は香港島の上環(Sheung Wan)を歩いてみましょう。

歩き方のポイント

上環は坂道や階段が多いので、ヒールのない歩きやすい靴でお出かけされることをおすすめします。観光地にあるような大型のショッピングモールはコース上にはありません。ローカルの喫茶店や雑貨店が点在しているので、疲れたら雰囲気のあるふるいお店に入ってみるのもいいかもしれません。この辺りの古い中国式ビルには、外国人の若者が多く住んでおり、外国人観光客も多く訪れるため、お店の人も簡単な英語は理解できますよ。また、住宅地の中におしゃれなカフェがあったりと思わぬ発見も。
★スタート地点
スタートはMTR港島線上環(Sheung Wan)駅です。もしくは、トラムで西港城(ウェスタンマーケット)で下車します。
港島線の終点上環駅

港島線の終点上環駅

トラムの西港城停留所

トラムの西港城停留所

★所要時間(徒歩)
スタート地点の西港城からゴールの文武廟までは約2時間弱です。 香港医学博物館や文武廟、西港城などの見学時間を合わせても2時間あれば十分でしょう。更に時間と体力のある方は、文武廟の見学のあと、次回ご紹介する上環(2)や中環を目指すコースに入ることもできます。

1 西港城
香港の歴史街道めぐり上環編のスタート地点は「西港城(ウェスタンマーケット)」です。MTR上環駅を出てすぐにある、赤レンガのおしゃれな建物。1906年に完成した建物は1989年まで上環街市(マーケット)として近隣庶民に利用されていました。1990年に法定古跡に指定され、1991年の改装工事を経て、現在の 西港城に生まれ変わりました。建物のグランドフロアには、観光客向けのお土産物屋さんや中華スイーツで有名な満記、カフェなどが入っており、1階(日本式の2階)には布地を扱うお店が並んでいます。

2 文咸街、南北行公所舊址
西港城を出て、ワンブロック山側に進むと右手に上環街市が見えます。街市の建物の右手にあるのが文咸街です。1851年に上環の海沿いを埋め立てた際に作られた道路で、中国の広州、潮州、福建、山東や上海からの商人がこの通りに集まり、中国の南北各省、東南アジアからの食品や雑貨を扱う店舗を次々と構えました。中国各地から様々なものがこの通りに集まったことから「南北行」と呼ばれました。今でもこの通りには、アジア全域から輸入される海産物や食品を扱う卸業者が軒を連ね、当時の面影を色濃く残しています。

3 大笪地遺址(ハリウッド公園)
現在、ハリウッド公園がある場所は、以前は海が見渡せる小高い丘になっており、1841年にイギリス軍が香港に上陸した際には、正式に香港島を占領した証としてイギリス国旗が揚げられた場所「大笪地」として有名ですす。この地から香港のイギリス植民地としての歴史が始まったといっても過言ではない、重要な場所なのです。現在は、緑と水があふれる中国式庭園が再現され、近所のおじいさんたちが中国将棋を指したり、不定期に行なわれるチャイニーズオペラの公演などがあるのどかな公園になっています。

4 荷李活道(ハリウッドロード)
ハリウッド公園の前にあるバス道は、1844年にイギリス軍によって整備されたハリウッドロードです。西は上環の皇后大道西(Queens Rd West)から東は中環の雲咸街(Wyndham St)まで東西に伸びる道路は、その昔、周辺に「冬青樹(英語名Hollywood)ヒイラギモチの木」が多く生息していたことから、この名が名づけられました。現在は、上環周辺の道路沿いには中国の古い家具や装飾品、大きな彫刻や仏像などを扱う骨董品店や中国の若手画家の作品を扱うギャラリー、そして中環に近づくにつれて、センスのよい雑貨やカフェ、レストランが並ぶおしゃれな通りになっています。

5 東華醫院
ハリウッド公園を出て、ハリウッドロードを渡り、目の前の普仁街(Po Yan St)を山側に
登ると右手にあるのが1872年創立の香港でもっとも古い病院「東華醫院」です。東華醫院は「廣東華人醫院(広東中国人病院)」の略称です。それまでは近くのお寺「廣福義祠」で行なわれていた貧しい人々への医療活動を、引き継ぐ目的で建てられました。現在も公立病院として香港島中西地区の住民に使用されています。病院のメインビルは一級歷史建築に指定されています。

6 太平山街、廣福義祠
普仁街の東華醫院から必列者士街(Bridges St)に東西に伸びる約300メートルほどの通りが太平山街です。香港島が正式にイギリスに割譲された後、この地域には多くの中国人が移り住んで来ました。人口の増加に従い、泥棒や犯罪が蔓延し、治安が急速に悪化したため、イギリス軍はこの地域に警察署と兵舎を建設し治安の維持に努めました。その結果、この地域は平和な生活を取り戻したため、一帯を「太平山」と呼び、メインストリートを 太平山街と名づけたそうです。この通りには通称「百姓廟」と呼ばれる「廣福義祠」というお寺もあります。


7 1894年鼠疫災區遺址紀念牌
太平山街のすぐ裏手に卜公花園(ブレイク・ガーデン)と呼ばれる公園があり、公園の一角には小さな「1894年鼠疫災區遺址紀念牌」があります。「鼠疫」とはペストのことです。当時、太平山街を中心に多くの中国人が移り住んだため、付近の衛生状況は劣悪となり、1894年ついにこの一帯にペストが大流行し、多くの住民が命を落としました。政府は特に被害の酷かった一帯を平地にし、消毒した後、公園にしました。それが今の卜公花園となっています。

8 同盟會招待所舊址
以前、香港には中国本土から逃亡してきた革命党員の隠れ家「招待所」と呼ばれる施設が各地にありました。卜公花園の裏にある小さな小道、普慶坊(Po Hing Fong)の招待所もそのひとつです。ここは孫文のゆかりの地を訪ねる街歩きコースにも入っており、招待所があった場所には昔の招待所の様子を今に伝える、写真付きの看板が立っています。

9 舊病理學院(香港醫學博物館)
太平山街をセントラル方向に少し進み、急な階段の樓梯街(Ladder St)を上がったところにある赤レンガの美しい建物が 香港醫學博物館です。この博物館は、当時流行していたペスト菌の研究を行なう目的で1906年に建てられた「舊病理學院」の建物を利用しています。エドワード王朝時代の英国式建築様式で、1990年に法定古蹟に指定されています。博物館では20世紀初頭から今日に至るまでの香港の医療の歴史と発展について、貴重な展示品で紹介しています。当時の香港の医療技術の発展状況がわかる見ごたえのある博物館です。ぜひ、足を運んでみてください。毎週月曜日は休館日です。

10 香港中華基督教青年會
太平山街を抜け、必列者士街(Bridges St)沿いにある大きな赤レンガの建物は香港中華キリスト教青年会、つまりYMCAの建物です。チャイニーズ・YMCAは20世紀初頭にアメリカからの宣教師により香港に誕生しました。もともとは、中環のDes Bouex Road Central付近に会館がありましたが、メンバーの増加により1918年に現在の建物が建設されました。建物は一般公開されていないため、中に入ることはできません。

11 文武廟
ハリウッドロード沿いにある文武廟は、1847年に中国人の盧阿貴、譚阿才という実力家によって建てられた道教寺院で、香港では最古の寺院と言われています。天井から吊られた渦巻き線香、線香の煙が立ち込める小さな廟は、映画やドラマのロケ地としても有名で、観光向けガイドブックなどには必ずと言って良いほど紹介されており、このお寺を訪れる観光客は絶えません。

いかがでしたか?この辺りは、香港の商業、医療の発祥の地であり、ここを中心に庶民の生活は豊かになっていきました。迫力のある大きな建物はありませんが、どれも香港の歴史になくてはならない大切な場所です。以上、香港ナビがお伝えいたしました。

関連タグ:歴史歴史建築

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2012-08-02

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